前回までのVIERUNDZWANZIG(= 24 -TWENTY FOUR- )
街中ではデモが発生。警察の目をかいくぐりながら、辿り着いた空中公園。Mr.ワダを落下から無事救い出すことに成功するも、セーヌ川では川沿いに道がないという予期せぬアクシデントに見舞われる。日没が迫る中、セント・ポール寺院に何とか到着するも、時すでに遅く扉は固く閉ざされていた。引き返したズワエたちを待っていたのは鍋、ワイン、チーズ、ハムの異色の宴。パリでなぜか日本の鍋を食べたズワエたちの2日目の幕が開く…
1日目の夜にヤマト君やドイツ組の皆と話し合って、2日目は美術館めぐりをしよう!ということになりました。
2日目、最初に行くのはやはりベタに「ルーヴル美術館」v( ̄∇ ̄)v!
ズワエたちが滞在しているヤマト君たちフランス組の寮はメトロ11号線の駅が最寄りなのですが、ルーヴル美術館の最寄りはメトロ1号線の「パレ・ロワイヤル=ミュゼ・ドゥ・ルーヴル駅(Gare de Palais Royal - Musée du Louvre)」。「シャトレ駅(Gare de Châtelet - Les Halles)」で乗り換えないと行けないのですが、それもメンドクサイ(シャトレ駅は、通路が狭くて長くて入り組んでいるので、乗換えが東京と同等かそれ以上にメンドクサイ (  ̄っ ̄))し、せっかくのパリなのに地下ばっかり通っててもつまらんのでシャトレ駅で降りて歩くことに。シャトレ駅は11号線では一番ルーブル美術館に近いです。
シャトレ駅からルーブル美術館に向かって、リヴォリ通り(Rue de Rivoli)を歩きます。ここはパリ市内でもひときわ賑わってる通りで、東京で言うと表参道のような感じ。ただ歩くだけでもいろいろな楽しみや発見があるのが、徒歩移動の楽しい所 .。゚+.(・∀・)゚+.゚ さっそく発見がありました。
それがこのデカい壁面。最初「フランスのアート集団が何かやってるのか?」と思いましたが、よくよく注意書きを見ると、コレは工事中の建物を囲むフェンス。しかもここに新しくできる建物は日本の有名な建築家ペアのSANAAが手がけていると聞いたから驚きました!Σ('◇'*)エェッ!?
SANAA(Sejima and Nishizawa and Associates:訳は「妹島と西沢と仲間たち」?笑)は日本の建築家である妹島和世(せじまかずよ)と西沢立衛(にしざわりゅうえ)によるユニットで、昨年3月にプリツカー賞(建築界のノーベル賞!)を取ったことで一般にも有名になりました。そんな彼らが手がけている事業の場所を "たまたま" 通りかかることになるとはさすがパリ Σ(・ω・ノ)ノ笑
ちなみにそこでSANAAが手がけている事業は何だったのかと後から調べてみると、どうやら2005年から休業している老舗百貨店「サマリテーヌ(La Samaritaine)」の改装&再開発工事らしい。ちなみにサマリテーヌはGoogleマップで見るとこんな感じ。
大きな地図で見る
かなりデカい百貨店だってことが分かります。
英語版Wikipediaの該当記事によると、サマリテーヌはフランスのパリにあった大型デパートで、2005年に閉館し、現在は建物だけ残っています。
元々サマリテーヌは1869年に、エルネスト・コニャック(Ernest Cognacq)と彼の妻マリー=ルイーズ・ジェイ(Marie-Louise Jaÿ)らが始めた小さなブティックでした。奇遇なことにマリーは結婚前、「ボン・マルシェ(Le Bon Marché:サマリテーヌのライバルデパートで1852年創業の世界初のデパート)」の世界初の洋服売り場店員だったそう。ちなみに店名の「サマリテーヌ」とは「サマリアの女」という意味であり、1609年から1813年まで付近のルーブル宮やテュイルリー宮に水を供給していたセーヌ川の給水所の名前に由来しています。
そんな小さなブティックだったサマリテーヌもコニャックらの手腕により、1900年には既に事業と店舗の拡大を考えるほどに成功しました。ライバル店のボン・マルシェの創業者であり当時の経営者、アリスティッド・ブシコー(Aristide Boucicaut)の商業戦略に影響を受けていたコニャックは、自身もデパートの改革に取り組み始めます。彼は「サマリテーヌ」を個別の店舗が集まる場所にし、それぞれの店は「プチ・パトロン(petits patrons:小経営者)」と呼ばれる各店舗の経営者によって営業されるという形態を考案しました。すなわち、各店舗とデパートが協調しつつ、個々の店舗の独立性も重視する、現在では当たり前となっているテナント方式ですね。この案こそが現在の「サマリテーヌ・デパート(Grands Magasins de La Samaritaine)」の始まりでした。コニャックは自身の案に従い、周辺の土地をどんどん買い、店舗を拡大、しだいに「サマリテーヌ」はただの”ブティック”とは呼べない程大きなものとなっていきました。1883年から1933年には、サマリテーヌ周辺区画の大規模な改造と再開発を行い、とりわけ1903年〜1907年には、建築家フランツ・ジュルダン(Frantz Jourdain)によるアール・ヌーヴォー様式(※1)を取り入れた大改修がなされました。その後、建築家のアンリ・ソヴァージュ(Henri Sauvage)がアール・デコ様式(※2)に改修し、1933年には11階建ての、現在では歴史的なモニュメントとも評されるパリ最大のデパートが完成しました。
1960〜70年代には « On trouve tout à la Samaritaine(「サマリテーヌには何でもある」). » というフランス人なら誰でも知っているキャッチフレーズで一世を風靡し、好調な売り上げも記録していたサマリテーヌでしたが、1968年にパリ中央市場(Les Halles:レ・アール)がパリ郊外のランジスに移り、1979年、その跡地に大規模なショッピングセンター「フォーラム・デ・アール(Forum des Halles)」ができると、サマリテーヌの売り上げはどんどん落ちていき、1990年代には赤字経営が続く状態となってしまいました。そして、ついに2001年には高級ブランドグループのLVMH(Moët Hennessy ‐ Louis Vuitton S.A.:モエ・ヘネシー=ルイ・ヴィトンS.A.)に買収されてしまうハメに。LVMHの手によって、サマリテーヌは内装を大々的にリニューアルするなど経営回復の努力を重ねましたが、日本の百貨店業界が厳しいのと同様に、グローバル化の波などに押され、営業成績はその後も芳しくなかったらしく、2005年、既存の建物が持つ安全設備が現行基準に合わなくなった(火事があった場合、火が7分で5階まで回ってしまうとか笑)のをキッカケにサマリテーヌは閉館しました。閉館前に従業員たちが、改装後もサマリテーヌをデパートとして継続してくれるよう嘆願書を提出し、抗議集会も開きましたが、その願いもむなしく、2008年、LVMHはサマリテーヌのデパートとしての再オープンはないと発表。後には高級ホテルやオフィス、ブティック、低所得者用の市営住宅が入った複合施設が建つこととなりました。
LVMHはサマリテーヌ買収以前にボン・マルシェも買収しており、一企業に往年の2大デパートが買収されるという何とも皮肉な結果になってしまい、またそれ以上に歴史あるサマリテーヌがデパートとしての役目を終えるのはとても寂しいことです。しかし新しく開発される複合施設の建物もそれだけの犠牲を補うだけの素晴らしいものになりそうです。
SANAAがデザインを担当しているというのもありますが、それだけではなく、この新しい複合施設に組み込まれる予定の7,000㎡もの床面積が確保された住宅スペースは « des logements sociaux et très sociaux(直訳:社会的並びに極めて社会的な住宅[笑])» と呼ばれるものなのです。この「社会的住宅(logements sociaux)」というのは、フランスの社会主義政策の一環で、公・民間を問わず、低所得者のために供給される住居のことで、その建設や管理なども指す言葉。よりメジャーなHLM(habitation à loyer modéré:応能家賃住宅)という呼称が社会的住宅の説明として紹介されることも多いです。2000年以来、人口5万人以上の都市圏にある人口3500人以上の市町村(イル=ド=フランス地域圏[Île-de-France]では人口1500人以上の市町村)においては、”社会的混合推進” のためその全住居の20%を « logement social » にすることが法で義務づけられています。
開発計画において、リヴォリ通り沿いにできるのは、「低所得者・超低所得者」向けの住宅で、セーヌ川沿いにできるのは「高級」ホテル。一つの建物で様々な所得階級を混合させるのは面白いことですし、そもそも街のど真ん中の一等地に政府の支援で低所得者を住まわせるというのは、日本では考えられない素晴らしい挑戦だと思います。
この複合施設は約2,200人の雇用を生み出し、その他にも60人ほどを収容できる保育園もできる予定で、人口過密都市が抱える問題を正面から積極的に解決しようと取り組んでいるようすが伺えます。日本も見習えっ!と言いたくなります。
オープンは2013年予定なので今から楽しみ、楽しみ。
※1:Art Nouveau。19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などの特徴がある。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐に亘った。富裕層向けの一点制作のものが中心となった。(Wikipediaより引用)
※2:Art Déco。アール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカ(ニューヨーク)を中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。原義は装飾美術。世界のあらゆる装飾・美術からの様々な引用や混合が指摘されている。自動車・飛行機や各種の工業製品、近代的都市生活といったものが生まれた時代への移り変わりに伴い、世界中の都市で同時代に流行し、大衆に消費された装飾でもある。アール・デコのデザインは一点ものも多かったものの、大量生産とデザインの調和も取ろうとした。(Wikipediaより引用)
めちゃめちゃ長々と書きましたが、今日のメインはこちらではありません。SANAAの工事現場を過ぎ、さらに歩いて行くと、何やら周りの建物の雰囲気が変わりはじめます。ざわっ…Σ(=゚ω゚=;)
『これはもしかして…いよいよかな?』と大きなドームを左に曲がると、何やら奥に光が…。これはもしかして… ざわっ…(つд⊂)ゴシゴシ
出たー!!!!!三角!!!!!ヾ(=^▽^=)ノ
このビジュアルで一瞬でわかります!!!!いよいよ来タァー!!!!Σ(`□´/)/
ここが言わずと知れた「ルーブル美術館(Musée du Louvre:ミュゼ・ドゥ・ルーヴル)」!
アメリカのニューヨークにある「メトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum)」、ロシアのサンクトペテルブルクにある「エルミタージュ美術館(Эрмитаж)」と並ぶ世界3大美術館の一つ。
ルーヴルの起源は、12世紀末に建造の始まったパリの街を守るための要塞であり、それから王宮等に使用された後、フランス革命の際にルーヴルを美術館とすることが決まり、1793年に「諸芸術の中央美術館」として開館するに至りました(この際の公開は限定的であり、一般の人々への公開は1801年からとされている。)。
また1683年に開館したアシュモリアン美術館、1744年のドレスデン美術館、1784年のバチカン美術館とともにヨーロッパで最も古い美術館の1つに数えられています。もち世界遺産。
入口は何個かありますが、一般的な入口は中央のガラスのピラミッドです。
入る前に当然ながら荷物検査が行われ、金属探知機をくぐります。(`・ω・´)
ピラミッドの中はこんな感じで地下に繋がっていて、この地下のスペース(ナポレオン・ホール)にチケットカウンター、インフォメーションセンター等が集まっています。このガラスのピラミッド(Pyramide du Louvre:プラミッド・ドゥ・ルーヴル)や地下スペースは、1985年から1989年にかけて行われた「グラン・ルーヴル(Grand Louvre:大ルーヴル計画)」というルーヴル美術館を大改築するというプロジェクトにより生まれたもので、中国系アメリカ人の建築家イオ・ミン・ペイ(Ieoh Ming Pei / 贝聿銘)による設計です。φ(.. )
ルーヴル美術館は「コ」の字の形をしているので、かつては、地上のドアのどこから入っても、バランスよく建物中の美術品を見て回るのは難しかったり、コの字の先端部分にいるときにもう片方の先端の美術品を見たいときなどは遠回りするしかなかったりしましたが、「コ」の字の中央に入口を置いて、地下から「コ」の字の3方向+連接する地下街にアクセスできるようにし、先述のような問題を解決したのは、今からすると単純な考えかもしれませんが、改築時、最初にこれを考え、しかも実行したのは個人的に本当にスゴいと思います。Σヾ( ̄0 ̄;ノ
ちなみにここでもSANAAに出会いました。(゚∇゚ ;)エッ!?
2012年にフランス北部のランス(Lens)に完成予定のルーブル分館です。これもSANAAが設計を担当しています。日本人バンザイ!オオーw(*゚o゚*)w
ルーヴル美術館はこの他にもアラブ首長国連邦のアブダビにも分館を建設する予定らしいです。なんでアブダビ?笑 でもこんなに分館を建設するとは、ルーヴルさんもさぞかし儲かってるんでしょうね〜。( ・Д・)
ナポレオン・ホールから繋がるシャレオツな地下街には、普通にスタバやアップルの店がありました。
なんか歴史的な美術館の横に、お土産屋さん以外のノーマルな大企業のテナントが入る商店街があるというのは不思議な印象を受けました。(´∀`*)
ちなみにこの地下街とルーヴル美術館の地下入口が交わる所には、イオ・ミン・ペイ設計の逆ピラミッドもあります。
こりゃどうやってガラス支えてんのよ(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?って気になっちゃうお年頃(笑)
ちなみにチケットを買う際に驚いたのが、フランスにおける建築の影響力の強さ。
ズワエたちはチケットを買う際、学割を利用しようとチケット係のお姉さんに学生証を見せました。
すると学生証を見たお姉さんが « Architecture?(建築?)» と聞いてきたので、 « Qui!(そうですよん)» と答えると、横のレジに表示された金額は « 0€ » との表示が。
『えーっ!タダ!?』?q|゚Д゚|p
と思わず心の中で叫ぶズワエ。
あとで聞いたのですが、ここフランスでは建築学生や芸術を学ぶ学生は将来を担う非常に大切なご身分とされているようで、大抵の文化施設は入場料がタダになったりします。
スゴいじゃん!フランス!Σ(・ω・ノ)ノ ビバ、フランス!Σ(・ω・ノ)ノ
一言、 « Architecture(アーヒテクトゥア:「建築」のフランス語読み、ドイ語は綴りは „Architektur" と違いますがと発音はほぼ同じ)» と言えば、まるでVIPのような気分に浸ることができるのです!「入場料くらいで…笑」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、パリで観光していろんな建物や美術館に入ったら、入場料といえども結構な額になっちゃうことを考えたら非常にありがたい!(ノ◇≦。) ビェーン!!
「てか日本も見習えっ!!!!もっと日本は学生を大切に扱え!!!!」
と声を大にして言いたい。(`Д´) ムキー!
てことでタダでルーヴルに入れちゃいました。
皆さんもパリに来るときは近くの建築学生を引っ張ってきましょう。もしかしたらあなたもタダになるかも。笑
ちなみに上の写真の様に、学生証に「Architektur」もしくは「Architecture」と英語で書いてないと、多分受け付けてもらえません。日本では学生証に英語表記なかった気ぃする。なんてやさしくないんだ!日本!
長くなったので今回はこれくらいで筆を止めておいて、美術館の内部はまた次回に。
« Au revoir! » ( -д-)ノ
参考文献
・■パリの老舗百貨店サマリテーヌの改修は日本人建築家 - Noriko Yoshida's Home Page
http://web.cla.kobe-u.ac.jp/staff/ynoriko/2010/04/post-48.html
・【追記】閉店した老舗デパート、サマリテーヌの運命
http://www.cahierdeparis.com/1_%81y%92%C7%8BL%81z%95%C2%93X%82%B5%82%BD%98V%95%DC%83f%83p%81%5B%83g%81A%83T%83%7D%83%8A%83e%81%5B%83k%82%CC%89%5E%96%BD_1701
・SANAAがラ・サマリテーヌ改修をてがけるという: 土居義岳のリハビリ建築ブログ
http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/sanaa-a76b.html
・パリ便り:さよならサマリテーヌ
http://homepage3.nifty.com/kazgoto/paris/p_tidings07.htm
・La Samaritaine - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/La_Samaritaine
・Le Bon Marché - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Le_Bon_March%C3%A9
・ルーヴル美術館 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
・http://www.usrc.co.jp/france/leshalles.pdf
http://www.usrc.co.jp/france/leshalles.pdf
・JDN /12カ月のパリ /24 Projet les Halles (レ・アール プロジェクト)
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/paris/24/
今日のひとことフランス語 (*^・ェ・)ノ
Pardon. / Excusez-moi. & フランス語の鉤括弧
パァドン/エクスキュゼ・モワ
« Pardon. »は「失礼。」といった感じで « Excusez-moi. » は「すいません。」といった感じです。英語で言う "Excuse me?"、ドイツ語でいう „Entschldigung?" に当たります。電車降りたいのに目の前に人がわんさかわんさおるときに使えますね笑。ちなみに今日の文面上でたびたび出てきているこの記号 「«»」、実はフランス語のカギカッコです。同じアルファベットを使っている国といえども、記号系は結構違います。ちなみにドイツ語のカギカッコは「„ "」、たまに英語使ってるのにカギカッコはそのままの記号だったりするので、最初「この記号はどういう意味なんだ?」と真剣に考えたことがあります。笑